NHK大河ドラマ「光る君へ」第35回次回予告9月15日放送35話あらすじネタバレ解説!
源氏物語、正妻「葵の上」を襲った「六条御息所」の生霊は、紫式部まひろの心を描いた再現だった?まひろ遂に不倫告白!道長焦る!
今回は9月15日放送35話で、紫式部まひろの書いた源氏物語 第9帖「葵」に書かれた内容が
今後のドラマ展開を予測する上で重要な場面だと思われる部分ががみつかりましたのでその内容について、解説していきたいとおもいます。
第35話では、一条天皇が、藤壺のまひろの局を訪れ、まひろの書いた物語ついて話す場面が登場します。一条天皇は、物語の中に登場する、白い夕顔の咲く家の女を生霊となって死に追いやった女について、この女は、恐ろしい女だとまひろにはなしますが、まひろは、その女のの気持ちが分かるといいます。
主人公・光源氏は愛人である六条御息所のもとへ通う途中、五条辺りで夕顔の咲いている民家に住む女・夕顔を知る。気位の高い六条御息所に気疲れしていた光源氏は、素直で可憐な夕顔に惹かれていく。そんなある夜、静かなところへ行こうと夕顔を荒れた空き家に連れ出す。ところが、その邸で夕顔は「いとをかしげなる女」の物の怪に憑かれて突然命を落としてしまいます。
物語のなかで、夕顔に取り憑いた物の怪の正体は明らかにされてませんが夕顔にとり憑いた霊が「どうということのない女を」と光源氏を責めているところから、年下の恋人の足が遠のき、苦悩する六条御息所の嫉妬心が生み出した物の怪だと考えられています。
この場面と登場する「六条の御息所」は、源氏物語の主人公の光源氏の愛人で、のちに「加茂祭りでの車争い」という事件から生霊となって、光源氏の正妻の葵の上を苦しめ、死に追い詰めてしまうという物語が描かれています。
今回は、なぜ、まひろが、この「六条の御息所」の気持ちが分かるといったのか、物語の内容を解説しながらその場面が今後のドラマ展開にどのように影響していくのかについて、解説していきたいとおもいます。
御息所とは、帝や東宮がお休みになったところ、休息場所という意味で、平安時代では、帝や東宮の子供を生んだことがある后という位置づけで飛ばれていました。
「六条の御息所」とは、六条に住む東宮の后という意味になりますが、東宮はすでに亡くなっており、未亡人となっていました。
六条の御息所は、光源氏の父親の桐壺帝の弟、東宮の后で、とても美しく、教養もあり字もうまい、位も高い高貴な存在で光源氏より7歳年上でした。光源氏は、そんな六条の御息所にあこがかれ、近づいて、すぐに愛人関係になっていきましたが光源氏は、一度、自分のものとなった「六条の御息所」にたいして、手のひらを返したように粗略にあつかいます。
六条の御息所は、非常に悲しみ、またその愛人関係も世間でうさわとなっていき、ちょうどそのころ、光源氏の正妻の葵の上に、結婚10目にして子供(夕霧)を懐妊したことを知り更に辛い思いをしていきます
加茂の祭りでの車争い
そんなあるひ、加茂の祭りのパレードに光源氏も行列に参加するとしり、六条の御息所は牛車に乗ってお忍びでパレードを見にいきます。沿道で車を止めて、パレードを待っていると、そこに光源氏の正妻の「葵の上」も車でやってきて、六条の御息所の車をみつけると、「愛人が、何様のつもりだと」牛舎をボコボコに壊し、追い返そうとします。
六条の御息所は、遠くへ追いやられま、諦めて帰ろうとするが、そこに光源氏の行列がきて、群衆がさらに混み合って戻るにも戻れない状態となってしまいます。すると、光源氏の行列が通過をしていき、正妻の車の方には手をふりましたが、自分のことは見向きもしない、また世間にもお忍びできたこともバレてしまい、心もァラダもズタズタにされてしまう出来事がおこりました。
この事件を「加茂の祭りの車争い」といいますが
この直後から、正妻の葵の上が原因不明の体調不良で苦しみ始め、世間ではこれは六条の御息所の「もののけ」に取り憑かれたに違いないと噂され、その噂が、六条の御息所の耳にも入り、さらに苦しむことになります。
そして六条の御息所は、私はそんなことはしていない、生霊になって苦しめようとなど、思っていないと否定をしたい思いでいましたが、そのうちに、ある夢をみるようになります
その夢とは、六条の御息所がうとうととすると、夢の中の自分が、葵の上のところにいって現実とは違う、獰猛で恐ろしく乱暴な気持ちとなり、葵の上を、ひっぱたり、なぐったり、羽交い締めする夢を度々見たそうです
物語の中では、さらに、光源氏が、葵の上を見舞っていると、その枕元に六条の御息所の生霊が登場する場面があります。その場面とは、光源氏が、葵の上を見舞っていると、葵の上が光源氏に「すこしご祈祷を緩めていただけませんか?私こんなところまで来るつもりはなかったので私の体から抜け出してしまった魂を結びとどめてください」といいますがその声も気配も六条の御息所そのもので、六条の御息所が葵の上に乗り移ったと見られる様子も描かれています
葵の上の寝床で、安産の祈祷のために護摩壇などで焚いたう芥子(けし)の実の匂いが離れた屋敷にいる六条の御息所の体から湧き出て、着物を着替えても、髪を洗ってもの消えないと六条の御息所の精神状態もおかしくなっていきます
この物語のえぴそーどのについて、まひろが描こうとした六条の御息所とは、だれなのか?
また愛人の立場から正妻への複雑な気持ちについて、六条の御息所の気持ちがよく分かると言ったまひろの言葉にはどのような意味があったのか?
んさんは、どうお感じになられたでしょうか?
大河ドラマ「#光る君へ」スペシャルトークショー in 大津
全国放送決定
9月8日(日)開催のトークショーのようすをご覧いただけます
放送9月23日午後6時5分~6時35分
内田ゆき(制作統括)
中島由貴(演出)
ラジオ深夜便
もっと、光る君へ
ラジオ第1 毎週月曜~日曜 午後11時05分
NHK-FM 毎週月曜~日曜 午前1時05分
大河ドラマ『光る君へ』をもっと、楽しむためのコーナーが、「ラジオ深夜便」で放送する「もっと、光る君へ」。キャストやスタッフが、ドラマの現場から制作チームのこだわりを紹介します。
もっと、光る君へ「高杉真宙 (藤原惟規 役)」
8月4日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「ファーストサマーウイカ (ききょう/清少納言 役)」
7月21日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「柄本佑 (藤原道長 役)」
7月7日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「町田啓太 (藤原公任 役)」
6月30日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「高橋優香子 (プロデューサー)」
6月16日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「黛りんたろう (演出)」
6月2日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「竜星涼 (藤原隆家 役)」
5月19日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「渡辺大知 (藤原行成 役)」
4月21日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「中島由貴 (チーフ演出)」
4月7日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「三浦翔平 (藤原伊周 役)」
3月31日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「板谷由夏 (高階貴子 役)」
3月3日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「大角啓太郎 (装飾)」
2月18日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「花柳寿楽 (所作指導)」
2月4日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「岸谷五朗 (藤原為時 役)」
1月21日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「吉高由里子 (まひろ/紫式部 役)」
1月7日(日)午前4:05放送
もっと、光る君へ「内田ゆき (制作統括)」
12月30日(土)午前1:05放送
『紫式部のスマホ』
放送は総合テレビ
9月9日(月)~12日(木)/ 9月16日(月祝)~19日(木) 夜11:45~11:50 全8話
歴史上の偉人たちが「スマホを持っていたら?」という奇想天外な設定と、番組全編がスマホ画面で進行するという異例の演出で話題となった『◯◯のスマホ』シリーズ。その最新作の放送が決定しました。今年の大河ドラマ『光る君へ』でも描かれる平安時代の才人・紫式部を主人公に、『紫式部のスマホ』として全8話のストーリーが展開されます!
本日も最後までご視聴いただき、ありがとうございました。
また続きを聞いて見たいという方はぜひチャンネル登録、高評価もお願いします
また次回動画をどうぞお楽しみに
参考資料
NHK出版「光る君へ」後編
東京ニュース通信社「光る君へ」Book2
国文学研究資料館所蔵
小学館:学習まんが人物館
講談社現代新書:紫式部と藤原道長
NHK(C)
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie
日本最大級の著作権フリーBGM・効果音
ストックサービス「Audiostock」
コメント
有難うございます❤、たまらーん、❤
有難うございます❤、たまらーん、❤
まひろが正妻の倫子に抱いた気持ちが御息所の物語の種になっている。
まひろが正妻の倫子に抱いた気持ちが御息所の物語の種になっている。
正妻が倫子である事に、まひろは苦しんできた。正妻が倫子でなければ、妾になったはず。
まひろにも、幸せになってもらいたい。
正妻が倫子である事に、まひろは苦しんできた。正妻が倫子でなければ、妾になったはず。
まひろにも、幸せになってもらいたい。
面白いがトーンが低いね残念だ。
面白いがトーンが低いね残念だ。
動画内で「六条御息所」を「みやすんどころ」とご紹介しておりますが、今回の大河ドラマでは「みやすどころ」とのことだという情報をいただきました。複数の方からご指摘がありましたのでお調べしたところ、どちらが正しいのかはわかりませんが、元々は、帝がお休みするところと言う意味で、「み、やすみどころ」から「みやすみどころ」といわれていたようです。それが撥音便化(発音が「ん」に変わること)して「みやすんどころ」というようになったと書かれていました。「みやすどころ」はその「ん」を表記しない形で昔は、撥音「ん」や促音「っ」は表記してもしなくてもよかったそうで、書く時にはには、「みやすどころ」と書いて読む時には「みやすんどころ」と読む場合もあるそうです。ご指摘いただきありがとうございました。当方は歴史の専門家ではないため、誤った部分があるかもしれませんので、またお気付きのこと、気になる点がございましたら、ご教授いただけましたら嬉しいです。また重複した質問に関しましては、非表示とさせて頂く場合もございますので、ご理解よろしくお願いします